先日の出来会見を機に、指名されるのを大人しく待って相手の嫌がらない質問だけして相手が持って帰って欲しい答えだけを持って帰るのではなく、相手が嫌がってでも聞くべきことを聞き、隠していることを明るみに出すのがジャーナリストのはず、という話が何度も回ってきて、確かに芸能に限らずというかそもそも政治家や政府関係者の会見ですら公式発表をそのまま流しているだけの「報道」が多い日本だからこそ、その点を強調するのは一理あると思う。
思うんだけど、反面、「相手が聞かれたくないことを聞き、嫌がっている点を持ち出す」姿勢こそジャーナリズムだぜ格好いいみたいなのって、80年代にあったよね一度?
久米宏のニュースステーションだの田原総一郎の朝生だのが出てきて、私は政治的には久米宏の方にどちらかというと賛成できることが多かったけれども、いずれにしても「人の話を遮ってでも相手の嫌がりそうな論点を出す」スタイルで人気を博していたように思う。
あれ、良かったですか?あのやり方で議論は深まり、重要な事実が次々明るみに出たのかな。
私はあれはなんかあまり良いレガシーを残さなかったように感じているのだけれど。
→ 上記、今回の会見は私は見ていないし(タレントを表に出して印象操作をしようとしているのが見え見えの会見がフレームアップされること自体に強く違和感があって、とにかく大規模な制度的性加害とその隠蔽については企業として業界としての責任をきちんと明確にして再発防止に力をいれるべきだし、私自身はそこが確認できる報道があればそれで良い)、だから「嫌がられる質問をしようとした」とされる記者たちの言動の良し悪しを言いたいわけではないです。
実際にそれが必要な局面というのはいくらでもあると思うし、そこで頑張ってくれる報道の人がいるのは本当にありがたいし重要。
ただそれとは別に、私たちの社会は「行儀良くやってても拉致があかねえんだよ、とにかくこっちの聞いてることに答えろや」みたいな下手をすれば恫喝的になる議論を(とりわけそれを力のある男性が行う場合に)持て囃しかねない傾向があるなあ、とも思っている。